これからどうします?

修羅の国・福岡で生きる30代独身女。家計簿、投資、一人暮らし、遠距離恋愛。

「仕事には行けるけど、休みになると体が動かない」私がカウンセリングに行った話①

お久しぶりです。春山です。

前回書いたとおり職場で色々、そりゃあもう色々ありまして、ぐったりしている毎日です。

で、先日カウンセリングに行ってきました。自分が疲れていたこと・ストレスまみれだったことを客観的に把握できてとてもよかったと思っています。現在進行形で悩んではいるものの、解決策を提示されたので、まずはそれを試してみて、その結果をカウンセラーさんに報告する予定です。

せっかくなので、そこまで至る話を書いてみます。いつもの「ですます調」ではいまいち上手に書けなかったので、ちょっと文体を変えてみました。同じように疲れている誰かのヒントになればいいなと思っております。

自死の話が出てきます。

なんとなく疲れている。そう思いだしたのは6月の終わりごろからだった。年度末の繁忙期・10連休及び改元関係業務・今年から担当になった某事務局の総会を乗り越え、仕事は楽になるはずだったのに、なぜか残業が続いていた。

日に日に病んでいく先輩(50代男性)の仕事を肩代わりしたから?精神を病んで一日中ブツブツ独り言をつぶやいて笑っている先輩(40代女性)のフォローをしているから?ベテランの非正規職員さんが任期満了で辞めたから?他の課と兼務している後輩が全然うちの課で仕事してないから?新しく入ってきた先輩(30代女性)の産休が決まったから?こんな状況だから何度も「仕事の担当割を見直しましょう」と提案しているのに、直属の上司である係長が全く動かないから?

理由を見つけようと思えば色々とこじつけられるけど、だからといって仕事が待ってくれるわけではない。お客様は毎日窓口にいらっしゃるし、締め切りのある仕事は次々にやってくる。自分ももう中堅どころだ。「できません~」といって逃げられる年齢じゃないことは重々分かっている。「くそが」と思いながら出勤し、残業を続けた。残業といっても、100時間だのなんだののレベルではない。人によっては「たかがその程度の時間数で残業とか笑」と鼻で笑うであろう時間数だ。それに、たまの土曜の出勤を除けば、土日はきちんと休めていた。この状態で精神的にきつい、などというのは許されないと思った。ただ少し疲れているだけだ。たまにパートナーに愚痴っては、私よりも大変そうなパートナーの仕事ぶり(十何連勤とかザラにしていた)を聞き、「自分も頑張らねば」と気合を入れていた。

そのうち、仕事が休みの日になると、体が動かなくなった。洗濯を終え、買い物に出かけようと着替えて化粧するものの、鏡の前でへたり込んでしまう。やっと化粧をしたら、ベッドに倒れこむ。だらだらとスマホを眺め、寝る。そして時間が過ぎていく。気が付けば夕方。なんの生産的なこともせずに休日を終えてしまった罪悪感と焦りがすごい。何とかしなきゃと思うものの、何をどうすればいいのかさっぱり分からなかった。

これが、「仕事のことを考えると涙が出たり吐いたりしてしまう」「食欲がなく痩せる」「疲れているのに眠れない」などの身体症状に出ているなら、話は別だ。「涙が出る・吐く・食欲がない・眠れない」という現象は、説得力がある。それが尋常じゃないことや日常生活の妨げになることはとても理解しやすいし、取り除きたい症状がはっきりしている。だから、本人も「医者に診せる」という解決策が浮かぶし、周囲の人間も「病院に行ってみたら?」と声をかけることができるだろう。身体症状を治そうとして診察を受けたら、その症状の根っこは精神的なものだった…という流れは非常に理解しやすい。

ところが私は、そうじゃなかった。仕事には行ける、残業もできる、休日出勤もできる。だけど休みになると体が動かない。食欲はある。睡眠もとれる。でも疲れている。いったいこれは何なんだ?

「うつ 仕事には行ける」なんてワードで検索してみても、結果はあまり芳しくなかった。というか出てくるのは「遊びには行けるけど仕事にはいけない『新型うつ』とは!?」だの、非定型うつの話がほとんどだ。逆のパターンで悩んでいる人間はいないのか。検索で探し切れていないのか。これがネットの限界なのか。インターネットは知の集合体じゃなかったのかよ…!!!そんなことを考えて落ち込んだりした。

気がつくとうっすらと死ぬことを考えていた。死を考えたのはこれが初めてではないが、このとき私にあったのは、「死にたい」という強い気持ちよりも、「なんかもう死んでもいい気がする」「死んだら明日は仕事に行かなくていい、ずっと起きずにゆっくり休める」くらいの緩い死への傾きだった。死ぬことがだめなら消えたい、初めから生まれなかったことにしたいとも思った。もちろん現実的な話ではなかったが。

私が自分の意志で死んだら、家族や、数少ない友人、そしてパートナーは悲しむかもしれない。でも、その悲しみだって、永遠に続くようなものじゃない。みんなそれぞれ、自分の人生に忙しい人たちだ。何年か経てば、私がいない日々が当たり前になる。私の自死が及ぼす影響なんてたかが知れているだろう。

決定的な引き金が何だったのかはよく分からない。私は首を吊った。残業から帰って、風呂に入った後だった。「試しに首でも吊ってみるか。そのまま死ぬかもしれないけど」そう思ってクローゼットの中に入り、どっこいしょと首をくくった。ブログを更新している時点でお察しだが、首つりは失敗した。やり方がまずかったのか、なぜか顔面がめちゃくちゃ痛かった。

これが自殺未遂だとは思わなかった。私のしたことは、「自殺未遂」という重々しい言葉を使うには、あまりにも深刻さが足りない気がした。翌日も仕事に行った。そしてその週末、残業後にマクドナルドでコーヒーを飲みながら、私は、職場と提携しているカウンセリングサービスにメールを送った。

「自分がどういう状況なのか知りたいです」

身体症状が出ているわけではない。仕事にも行ける。涙も出ない。食欲はあるしちゃんと眠っている。でも、どうしてもしんどい。そして頭の隅で、もう死んでもいいと思っている。これはいったい何なんだ。自分の状況を理解するヒントがほしかった。

今なら分かる。私は疲れていた。そして、誰かに助けてほしかった。

 

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