これからどうします?

修羅の国・福岡で生きる30代独身女。家計簿、投資、一人暮らし、遠距離恋愛。

「仕事には行けるけど、休みになると体が動かない」私がカウンセリングに行った話③

春山です。来週にはもう8月とか早すぎる。

例によって「仕事行けるけど」シリーズです。サクッと書き終えるつもりでしたが、意外と長くなってしまいました。うーん、何か今回は愚痴っぽくなってしまいましたね…。

家計簿の話とか投資の話とか全くしてなくて、それ目的で見てくださってる方には申し訳ない限りです。しばらくは投資のこと考えるのも面倒で、個別株も放置プレイしてます。モーサテはおろか株探すら見てない…。そろそろ管理を再開せねば。

というわけで、前回の続きをどうぞ。

三連休明けの火曜日、仕事に行きたくなかった。しかし連休後の週初めは、私の係の仕事量がぐんと跳ね上がる日だ。連休中にお客様から出された書類を全て捌かなくてはならない。休めない。おまけにその日は夏休みの職員が1人いた。彼女が不在のときは、彼女の担当業務を私がやることになっている。休めない。それに、信頼している先輩(ただし別の係)、すくすく育っている後輩(ただし別の係)、いつもにこやかな再雇用の職員さんたちに負担をかけたくなかった。だから休めない。

「負担をかけたくなかった」。我ながら傲慢な言葉だ。本当は違う。私は、彼ら彼女らから、見限られたくなかった。「仕事に行けない=精神的に弱い人」のレッテルを貼られるのが怖かった。一度「メンタル病んだ人」のレッテルを貼られたらどうなるか、この数年間の勤務で、そんな例はうんざりするほど見てきた。

「あの人はねえ、前に病んだけんねえ」「でも、あのくらいの業務で病むなんてねえ。もっと忙しい部署はたくさんあるやん」「病まれるのは勝手だけど…。結局、残された人がしわ寄せ喰らって困るんよね」

"休まれた"人達のセリフが、音声付きで蘇ってくる。それに「はあー、そうなんですねえ」「あそこの課も大変やねえ」などと頷いていたのは、ほかの誰でもないこの私だ。あのときの私はただの聞き役だった。今、ここで休んだら、当事者になってしまう。「メンタル病んだ人」の仲間になってしまう。ここに勤めている限り、ずっとそのタグが私についてまわる。嫌だ。休めない。

休まないなら、出勤しないといけない。大丈夫だと自分に言い聞かせた。玄関を出たら、電車に乗れたら、職場に着けば、何とかなる。今までだってそうだった。家を出て、始業15分前に職場に着いた。PCを立ち上げ業務開始に備えながら、スマホを見ていた。2つ隣のデスクから、春山さん、と呼ばれた。係長だ。背中を丸めて椅子に座るいつもの姿で、係長は私を見ながら、にやにやと話しかけてくる。

「針沼さん、まだ来とらんよ。やばいかもね」

針沼さん(仮名)とは、同じ担当の50代の先輩のことだ。私より長くこの担当にいる「前にも病んだことのある人」。何度かこのブログでも書いたが、今年度に入ってからみるみる間に変調をきたしていた。業務中にトイレで嘔吐する。契約について課長と部長に何か言われた後、突然泣き出す。湿疹と胃炎にもかかっていた。そういう姿を目の当たりにして、誰しもが「この人はこれ以上いくとやばい」と思っていた。本人も「私はもう頭が回らない」と言ってはうなだれ、新しい仕事を任せようとすれば「とてもとても、私にはできない」と受け取ろうとしなかった。仕方なく、彼がやるはずだった業務を、ほかのメンバーが少しずつ肩代わりすることとなった。本来ならば、一番経験の長い職員として業務にあたるべき彼は、みんなに気遣われながら、誰よりも負担のない業務を、誰よりも時間をかけて進めていた。

彼はどうやら朝起きられないことがあるらしく、1時間遅れて出勤したり、1日まるっと休むこともあった。おそらく係長は、それを指して「やばいかもね」と言ったのだろう。にやにや笑いながら、わざわざデスク1つまたいだ距離の私に、ほんの冗談のように。

これまでのことが、一気に頭に噴き出してきた。今年度から、係長と針沼さんと私の3人が、新しい業務の担当になった。しかし、決裁も資料作りも外部との連絡調整も、全て私がやっていた。それを理由に、部内のプロジェクトへの参加要請を断ろうとしたとき、ため息をつきながら「いいです、私がやるから…」とうなだれて見せたのは針沼さんだ。そして、「針沼さん、これ以上負担増やしたらきついよね?」と仕向けたのは係長だ(結局私がプロジェクトに参加することになった)。時間給を取りたいと申し出た私に、にやにや笑いながら「人手が少ないよねえ」と言ったのは誰だ。課のメンバーが出払っていようが、電話もとらず、窓口にも出ないのは。調整が必要な案件を抱えていても、他の担当の係長と話すことすらしないのは。会議で何も発言しないのは。「現状を把握してくれ、業務の担当割を見直してくれ」と再三頼んでも、課長を通じてお願いしても、微動だにしないのは。全部、係長のあんたじゃないか。そんなやつが「やばいよね」と私に言うのか。なんだこいつら。嫌悪感でいっぱいになった。結局、目に見えるかたちで病めば勝ちやんけ。

そして時間ギリギリに針沼さんは来た。連休明けの火曜日は想像どおり忙しかった。業務後に課内の研修会をやり、担当内でパートさんの雇用の打ち合わせをした。翌日の水曜は外部研修がある。うちの課からも参加するから、人手がごっそり減る。おまけに水曜日はノー残業デーだ。頑張らなくては。駅に向かいながらも、ずっと仕事のことを考えていた。明日の朝、目が覚めなければいいのになあとも思った。

水曜日。もちろん目が覚めて私は生きていた。シャワーで寝汗を洗い流し、身支度・メイク・弁当作り・朝食を済ませた。ベランダで一服し、歯を磨く。エアコンを消して、あとは玄関を出るだけだった。

出られなかった。

ただドアを開けるだけなのに、それができない。体が動かないのだ。昨日の係長の姿や声が頭にこびりついている。気持ち悪い。嫌悪しかない。無理だ。どうしても無理だ。休みたい。

職場に電話をした。まだ誰も出勤していないのか、長いコール音が続く。係長が出ませんように、と願ったが、残念ながら電話に出たのは係長だった。体調不良で午前中だけ休むと手短に伝え、了承を得た。連絡を終えた途端、安心感と罪悪感が襲ってきた。世間的に見れば、これは紛うことなきズル休み。やってしまった。このまま休み癖がついてしまったらどうしよう。「病んだ人」になってしまったらどうしよう。

だめだ、このままじゃだめだ。何かしなくては。打開策を見つけなければ。焦りながら、放置していたカウンセリングルームのメールを開く。今更返事をするなんて悪あがきかもしれない。失礼かもしれない。それでも、とにかく何かにすがりたい。私はカウンセリングルームに予約のメールを送った。

 

 

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