これからどうします?

修羅の国・福岡で生きる30代独身女。家計簿、投資、一人暮らし、遠距離恋愛。

破局回避とメンタル大爆発

春山です。11月も半ばを過ぎ、朝晩はだいぶ冷えるようになりました。布団が恋しい日々です。

遠距離恋愛しているパートナーと疎遠になる

さて、ここでも何度かチラチラ書きましたが、私とパートナーは9月に喧嘩して以来、何となく疎遠な感じになっていました。

そもそもの発端は「私がパートナーの地元(宮崎県)に行っても大丈夫か」という問題です。詳しい経緯は省きますが、パートナーの回答は「来てくれること自体は嬉しい。しかし、ニート状態で来られたら困る」というものでした。

宮崎で職を見つけるか、もしくは職業訓練校などに入ることが決まったうえでの移住でないと難しい。なぜなら、もしも私が収入ゼロの状態で2人が破局した場合、途方に暮れることになるのは、間違いなく、縁もゆかりもない土地に来てしまった私だろうから。そして、そういう状況になるのは自分としても嫌だから、とのこと。

理解できます。ええ、こうして文章にするとなおさら、すごく理解できる、筋の通った話だと私も思います。

ところが、これを言われたとき、私の脳は「拒絶された!見捨てられた!」という方向にスイッチしてしまいました。いやその理屈はおかしいやろ、と自分でも思うんですが、パートナーの回答に想定以上のショックを受けてる自分がいたことは紛れもない事実です。

その晩はモヤモヤとイライラでなかなか寝付けず、明けて翌日「どうせ私を必要とする人間なんてこの社会にはいない」と6時間ぶっ通しで泣きまくるという醜態を見せました。

パートナーは「そんなことないでしょ、家族とか友達とか、職場だってあるでしょ」と宥めてくれましたが、困惑していたことでしょう。一昨日は一緒にイエモンのライブに行って「最高~!」とはしゃいでいたのに、この落差。

落ち着いてからは2人して近所にタピオカなど飲みに行きました。我ながら何やってんだ……。

消えないモヤモヤ

一度抱えたモヤモヤはなかなか自分の中から消えていきません。

前と同じように接しようと思っても、「こいつはどうせ私のこと見捨てるしな……」という怒りが先にこみあげてしまい、パートナーにどう対応していいかが分からなくなったのです。やけになって台湾一人旅を予約したりしたものの、気は晴れず。毎日送っていたLINEもとげとげしくなり、やがて事務連絡のようなものになりました。

こういうとき、遠距離恋愛じゃなかったら、顔を突き合わせて意見を戦わせていたら、もう少しましな解決方法があったのでしょうか。クソみたいな感情の振れかたしててなんですが、そういう問題じゃないような気がします。

喧嘩の原因こそ、「遠距離恋愛ならでは」のものだったかもしれませんが、仲直りのステップは、近距離だろうが遠距離だろうが変わらないんじゃないかと。お互いがきちんと話し合って、妥協点を見つけていく。実際、私たちも、これまでそうして仲直りしてきました。しかし、今回は「話し合いたい」という気持ちすら起こらないのです。かといってモヤモヤを無いものにしたまま過ごすこともできず。「この人を逃したらもうパートナーなんて見つからないのでは」という打算と下心もあり、私は完全に泥沼思考に陥っていました。

 

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Googleに話しかける30代独身女。痛い。

 

そしてメンタル大爆発

きっかけが何だったのかはよく覚えていません。私は、部屋で一人で飲んでいました。たまたま入ってきたパートナーのLINEに

辞める勇気がないから仕事に行ってるし、死ぬ勇気がないから生きている

と返信したあたりから、様子がおかしくなりました。

言うなれば、自分の体内を、すさまじい怒りと不安と寂しさと虚無と自暴自棄と恐怖が一気に埋め尽くしていったような。そういうぐちゃぐちゃした感情が、血管をものすごい勢いでぐるぐる回りまわっているような。

――今すぐこの気持ちを爆発させないと行き場がない!普段の無精さが嘘のように、私はパートナーへ鬼のようにLINEを送りました。アホかってくらいに号泣し、酒を追加し、また泣いてを繰り返す30代独身女。痛い。痛すぎる。

そして、自死をほのめかして、LINEを放置しました。結局、いろいろと失敗し、生き伸びちゃったのでこうしてブログを書いているんですけどね。

再びカウンセリング&メンタルクリニック

翌日、パートナーへの返信を放置したまま、メンタルクリニックに行きました。実はこのとき、私は、クリニック通院を完全にサボっていました。困難なく眠れるし、落ち込みはするものの、仕事も出張も無事こなせるし、自分は別にメンヘラではないのでは?と思っていたのです。

そうなると、もうそっちの方向にしか頭が動きません。「きっと先生も『何でこいつクリニック来てんの?』て訝しがってんじゃないか?別に病院も薬もいらないんじゃないか?そうだそうだ、そうに違いない」と、一人で合点して通院をサボっていました。

しかし、翌朝目が覚めて、今回の大爆発はさすがに異常なんじゃないか……と心配になった私は、のこのことクリニックに舞い戻りました。めちゃくちゃ恥ずかしかったです。再度診察室でビービー泣き喚き、再び薬を処方されて帰ってきました。先生にも呆れられたような気がします。そして、またカウンセリングルームに行くことにもなりました。

診察室で恥をさらした後、ようやくパートナーにLINEを返しました。そのときは完全に「何で私は死んでないんだろう」しか考えられないモードだったので、「生きててごめん」と送りました。太宰治に染まり始めた中二でももう少しマシなこと言えるぞ。本人は真面目です。痛いな!

それでもパートナーは、私が生きていたことに安心したようでした。よかった、と言ってくれるパートナーに対し、申し訳ないことをしたと思いました。しかしその一方で、私が死んだところでいったい何なんだろうと考えている自分にも気づきました。

私は「私が死んだら悲しい」ことが分からない

なんというか、「自分が死んだら誰かが悲しむ」ことがあまりピンとこないんですよね。これは今に始まったことではなく、昔から割とそうでした。自分以外の人の死は辛く感じるし、事故や災害や事件で誰かが死んだというニュースには心が痛みます。

でも、それと自分の死がイコールで結びつきません。全く別の事象だから、「あなたも誰かが死んだら悲しいでしょう?だから私もあなたが死んだら悲しい」と言われても、比較対象が違いすぎてよく分からないんですよ。「私は唐揚げが好き、だからあなたも煮魚が好きでしょう」くらいのレベルで比較対象が違う。「自分が死んだら扶養している家族が現実的に困る」だから「死ねない」なら、まだ納得できるんですが。

クリニックの先生には「今は何でもネガティブに考えてしまうから、とにかく薬を飲み続けるように」と釘を刺されました。しかしまー、薬を飲むくらいで、この考え方が変わるものでしょうか。ここまでくると、もはや認識の問題のような気もするんですが、それが変わるようなことはあるんでしょうか。正直、半信半疑です。いや、二信八疑くらいかな(そんな四字熟語はない)。

とにもかくにも、パートナーとの破局はなんとなく先延ばしになり、私は再度メンタルクリニックとカウンセリングに行くことになりました。根本的な問題は何一つ解決してないんですが、とりあえず対処療法にとりかかったような感じです。

効いてるかどうかわからなくても、薬は飲んだほうがいいのかもしれません。病んでるみんな、勝手に自分で薬を調整するのはやめようね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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